伊達 宗倫(だて むねとも、1872年10月7日(明治5年9月5日) - 1892年(明治25年)10月11日)は、明治時代の男爵。伊達宗城の八男で宇和島藩伊達家分家当主。東京府宿所生まれ。幼名・経丸。
幼少より新銭座慶應義塾に入学。1889年(明治22年)に分家を創立して、1892年(明治25年)5月30日に父の功により男爵を叙爵。同年6月1日、宗倫と改名した。通称は「伊達従五位」で、伊達家一門より呼ばれていた名前である。同年10月11日に死去した。享年22。
弟の伊達宗曜が養嗣子として跡を継いだ。
脚注
参考文献
- 丸山信編『人物書誌大系 30 福沢諭吉門下』日外アソシエーツ、1995年3月、ISBN 4816912843
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。




