栄安固倫公主(えいあんこりんこうしゅ、満洲語: ᡩᡝᡵᡝᠩᡤᡝ
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ᡤᡠᠩᠵᡠ、転写:derengge elhe gurun i gungju、1855年6月20日 - 1875年2月5日)は、清の第9代皇帝、咸豊帝の娘。母はタタラ(他他拉)氏の麗嬪(のちの荘静皇貴妃)。
生涯
咸豊5年5月7日(1855年6月20日)に生まれた。咸豊帝の唯一の娘であり、東太后や西太后の寵愛を受け、同治9年(1870年)9月に栄安固倫公主(清の嫡出公主の封爵)に封ぜられた。
同治12年(1873年)8月、西太后の勧めによって世襲一等雄勇公でグワルギャ氏の符珍(出生名は瑞煜。結婚の際に聖旨により符珍と改名)と結婚した。
同治13年(1874年)冬、第一子を妊娠するも、精神的なストレスにより流産。その1ヶ月後の同年12月に天然痘を患い、12月29日(西暦1875年2月5日)に19歳で薨去した。
子女
- 1人(流産)
参考文献
- 『清史稿』
- 『清穆宗実録』



